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14 April 2010            絵日記の  |  未選択  |  TB:  |  C:0  |
動画になるのがちょっと楽しい。
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13 December 2009            無題  |  未選択  |  TB:  |  C:0  |
優しい本を読んだら優しい気持ちをわけてもらえた。
色々なもんのを大事にしたいと思った。
19 November 2009            心象  |  未選択  |  TB:  |  C:0  |
「私はどうしてここにいるのかわからなかった。
ここまで来るつもりは毛頭なかったのだ。
朝、いつもの通りにけだるくも支度を済ませ、ひとりきりの家をでたときにはまっすぐ会社へ向かうつもりだったというのに。
一歩ずつ、ベクトル方向がずれてしまっていた。
はじめはふと道を外してみようと思いまず一歩。
そしてそのまま突き進もうと考え二歩。

・・・・・

もう正規のルートはだいぶ外れていてしかし引き返すのは癪であった。
そう思いながら歩いてきて、ここはどこだかわからない。
もう引き返せない。
泥沼にはまってしまって動けない。
どうしてあのとき一歩道を外してしまったのか、そしてそのまま進んでしまったのか、いつでも引き返すことはできたのに。
全ては積み重ね。

・・・・・・・

ああ、雨だ。冷たい雨が降っている。

こんなにも身体を冷やしてやまない、冷たい雨なのにもっと降っておくれと、やまないでおくれと思う。

私はどうかしてしまったのだ。

現実から離れたこの場所でひとりきり、どこにも指針が見えないまま佇んでいる。
雨が私を捉えている。










でも私は本当はここから抜け出す道を頭のどこかでは知っているのだ。
知っていて、それでも、動かない。」
30 October 2009            デザインの行方  |  未選択  |  TB:  |  C:0  |
情熱。

情熱が足りない。

もっともっと、やりたいことを表面にだすこと、やりたいことをやるなんて言葉にするとなんて単純なことだと思うけど、現在の私のやりたいことって何だよ、と考える。
思考が曲がってきた。
将来的にみてやりたいと思ってきたことは本当に私のやりたいことなのかな。
ここ1、2年はインテリアに携わることをしたいと考えてきて、テキスタイルデザイン、インテリアデザイン、、、、デザインをやっていきたいと思ってきて、デザインについて浅はかだけれど考えてきた。
あくまで私の概念の中での言語表現としてデザインとアートという言葉を使いますが、
作家としての作品を作りたくはなくて、もっと多くの人に普及するデザインを作りたいと思っている。
けれど、言語による固定概念の枠の中の話で、やっていることは全然デザインじゃないのじゃないか、と。
まだ自分の作りたいようにやっている。
デザインとなると、もっと洗練が必要であるし、もっと考えなければいけない。

作品をつくりたくはなくて、でもデザインにはなりきれなくて、中途半端。

今日はサーフェスデザインの講評会だったけれど、その作品においても、他の作品にしても、中途半端。

今野先生の話にもう、がつんと頭をはたかれた。

私のやりたいことを考えて、その軸がもう中途半端。

何やりたいのかって、それは全て作り出したものに反映している。

学生だから今は、作品を作ることでいいと思うが、未来の軸がぶれてしまっては、どうしたらいいのかわからなくなって、アートとデザインの境界の線引きができなくなっている。

三原康裕氏にしたら、そんな境界なんて固定概念の固まりでしかなくて、無為なことかもしれない。
でも、それは私は成功者の意見だと感じた。
ものをだして、「説明はいらない。あなたの頭で考えて、本能で感じて下さい」それはデザインというよりはアートよりだと私は思う。概念の中で語るなら。
でも現実社会は言語社会なのだから、一種の理想論であり、それだけでいいわけでもないと思う。

話が逸れたが、迷いが生まれたということ。

指針がゆらいで、まっすぐ突き進もうとしていた道は本当にそれでいいかという疑問と自信のゆらぎ。
この課題ができなくてどうして前にゆけるのか、ということ。
不安でいっぱいなのだ。

無知を承知で今まで考えてきたことは、0に戻る訳ではないけれど、いうなれば「振り出しに戻る」状態。

自分のことなのに自分の中の本能の訴えすら聞こえない、見えない。

言葉が概念という捉え方はすごい三原康裕に影響されての考え方。

これからの私について考えを巡らした時になんとももやもやした不明瞭な頭なのか、今はもうギリギリの心境。

結局情熱が足りないってことなのか否か

17 September 2009            無題  |  未選択  |  TB:  |  C:0  |
忘れていた記憶を掘り出したら、思いがけない出会いがあった。

高校の時のことを私はもうほとんど覚えていないのだけど、必死に思い返すと、連鎖反応で思い出してくる。
ぐるぐる回り道したことも、私が忘れていたとしても私のルーツになってる。

今日のテキスタイルプロダクト論は思ってた以上に面白かったです。

いま読んでいる本も含め、デザインの原形、物の本質、というこに興味があって、d+の商品写真を見ていた時はその系統ではないと思っていました。
けど、名児耶先生の話を聞いてみると、コンセプトは同じだと感じました。
d+は様々なデザイナーからの発信ということもあり、多少あてはまらないところもあると思うけど。


私もシンプルな最小限のデザインのものは好きです。

でも世の中にこうもプロダクトとしての良さが最小限のディティール要素になってくると反発したいような気持ちにもなってくるから不思議。

無駄なディティールのデザインがあったって生活がそれで楽しくなるならいいじゃない、と。

そんな気持ちになってしまったので、明日のサーフェス課題が煮え切らない形になってきた気がします。
気分が乗らないと作業も乗らないAB型。

自分に正直なデザインがしたい。


砂口さんの声と話し方が好きだった。

でも声を聞いて、既視感を覚えたのは何故だろうと、話を聞いている間ずっと考えていました。
考えるよりは記憶の掘り出し作業をしていて、砂口さんの話し方からどんどん記憶の糸を辿ってたどり着いたのは高校時代でした。

2003年の春から半年だけ通った船橋美術学院。
私にとっては色々と思い出すと苦しい時代なのでしたが、砂口さんとそこで少しだけ関わっていました。
教え子のひとりとして。

師事していた人は幾つになっても、自分がその人の年を超えても高い存在だなぁと思います。

私は思い出すのに随分時間がかかったのだけど砂口さんは何となく顔を覚えて下さっていたみたい。聞いてみたら、やっぱり!と言われました。

自分のことで視野がいっぱいになってしまってよくない!

もっともっと広い視野で過ごさないとと思います。
01 December 2007            無題  |  未選択  |  TB:  |  C:0  |
むいてるとかむいてないとかじゃなくて、

すきなことをしたいと思う、

けど、


すきなものがわからなくなってしまった人はどうしたらいいんだろう。



向き合うのは、自分。

だけど、

目をそらしている。


目を合わせたくないから。
12 August 2007            ビリヤード  |  未選択  |  TB:  |  C:0  |

最近のはまり。
すき。
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